表紙:メダカに狂っていく人間の話
頭狂メダカ学院
(とうきょう・メダカがくいん)/非公認・非専門
メダカに狂っていく人間の話
── 正統・メダカ学では語られないこと

目次

頭狂メダカ学院・入学案内 第0章|正統・メダカ学 第1章|縁日までは覚えている 第2章|1匹だけ、という嘘 第3章|名前のつかない時間 第4章|増えたのは、メダカか、自分か 第5章|やめようと思った日が、一番深い 最終章|それでも水を替える
※各章タイトルをタップすると、章の頭にジャンプします。
TOKYO MEDAKA INSTITUTE

頭狂メダカ学院・入学案内

頭狂メダカ学院は、正規の教育機関ではありません。資格も、修了証も、単位もありません。

ここにあるのは、メダカを通して自分の頭の向きを少しだけ狂わせてしまった人たちの私的な記録です。

入学資格
以下のうち、ひとつでも心当たりがあれば、すでに入学しています。
・メダカを「数」ではなく「個体」として見てしまう
・水槽の前で、時間を失ったことがある
・増えた理由を、うまく説明できない
・やめようと思った翌日に、水を替えている
・メダカのことを誰にも話していないのに、頭の中では話している

学科について
当学院に、正式な学科編成はありません。
しかし、在学生の多くが自然に履修してしまう分野があります。
・観察学(何も起きていない時間を見る)
・忍耐学(結果が出ない日々を受け入れる)
・選別倫理学(残すことと、手放すこと)
・言い訳学(増えた理由を家族に説明する)
・季節感受性学(水温と心が連動する現象)

教員について
教える者はいません。メダカは何も教えず、ただ、こちらを見ています。

校則
・正しさを振りかざさない
・他人の水槽を否定しない
・自分の狂いを、笑えること
・やめた人を引き止めない
・続けている人を、羨ましがらない

卒業について
卒業制度は存在しません。気づかないうちに離れる人もいれば、一生、水を替え続ける人もいます。どちらも、正解です。

もしこの案内を読んで、少し胸がざわついたなら、それはもう、頭狂メダカ学院の廊下に足を踏み入れている証拠です。

※本学院は実在しません。
※しかし、各地のベランダや縁側で、日々、静かに開講しています。

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CHAPTER 0

第0章|正統・メダカ学

正統・メダカ学は、すでに完成している。

水質、餌、温度、光、容器。品種、系統、遺伝、固定率。繁殖期、選別、越冬、病気対策。そこには長年の知見と、積み重ねられた技術と、敬意を払うべき先人たちの努力がある。それは間違いなく「学」だ。

しかし、この本はそこから始まらない。なぜなら――正統・メダカ学を、正しく学んだ人から順に、少しずつ説明のつかない場所へ足を踏み入れていくからだ。

水質は問題ない。餌も合っている。温度も適正。それでも、水槽の前に立つ時間がなぜか長くなっていく。

理論的には増やす必要はない。場所も足りない。手も回らない。それでも、「今回は違う」と自分に説明してしまう。

正統・メダカ学は、正解を与えてくれる。だが、なぜやめられないのかについては、一行も書いていない。

この本が扱うのは、正しさの外側だ。なぜ夜に見てしまうのか。なぜ失敗しても、また水を替えるのか。なぜ増えた数を、正確に数えなくなるのか。それらは理論ではなく、生活の中で起きる。

頭狂メダカ学院は、正統・メダカ学を否定しない。むしろ、深く敬意を払っている。だからこそ、その外側にこぼれ落ちたものを拾い上げたい。

ここから先に登場するのは、専門家でも、達人でもない。うまく説明できないのに、今日も水を替えている人間だけである。

この章を読んで違和感を覚えたなら、それは正常だ。なぜなら、正統・メダカ学は、この章を必要としていない。必要としているのは――あなたのほうだからだ。

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CHAPTER 1

第1章|縁日までは覚えている

メダカと聞いて、最初に思い出すのは、だいたい決まっている。夏。縁日。水を張った青い桶。紙の薄いポイ。掬えたような、掬えなかったような、あの頼りない感触。

メダカは、特別な存在ではなかった。金魚より地味で、熱帯魚より弱そうで、飼ったところで、すぐにいなくなるもの。そんな記憶だけが、かろうじて残っている。

大人になってからのメダカは、その延長線上にあった。「懐かしいね」「子どもが喜ぶかな」「安いし」深く考える理由は、どこにもなかった。むしろ、考えなくていい生き物という分類に、無意識のうちに入れていた。

最初は、水槽ですらなかった。余っていた容器。使っていない瓶。発泡スチロールの箱。「とりあえず」この言葉が、あとから思えば、すべての始まりだった。

水を張り、メダカを入れ、しばらく眺める。それだけのことなのに、なぜか、その場を離れられなかった。何かが起きているわけではない。泳いでいるだけだ。止まっているだけだ。それでも、目が離れない。

この時点では、まだ自覚はない。自分が何かの入口に立っていることにも。ただ、「思っていたのと違うな」という、ごく小さな違和感が胸の奥に残るだけだ。

メダカは、派手なことをしない。跳ねない。鳴かない。懐かない。なのに、見られている気がする。視線が合うわけでもないのに、こちらの存在が水面に反射している。それが、少し気になる。

縁日のメダカは、「取る」対象だった。だが、このとき目の前にいるメダカは、「見る」存在になっていた。取るでもなく、飾るでもなく、使うでもなく。ただ、見る。

時間の感覚が、少しずつ曖昧になる。五分だと思っていたのが、三十分だったりする。スマホを置いてしまう。通知が鳴っても、少し遅れる。その遅れを、特に問題だとも思わない。

この章で言いたいのは、「ハマった瞬間」ではない。そんな劇的な瞬間は、存在しない。あるのは、油断だけだ。

縁日の記憶があるから、油断する。大したことはないと思うから、警戒しない。メダカは、その油断の中に静かに入り込んでくる。

この時点では、まだ増えていない。まだ語れる。「ちょっと飼ってるだけ」「たまたま」「試しに」言葉は、ちゃんと整っている。

だが、もうひとつだけ、確実に変わっていることがある。それは――メダカを見る目が、子どもの頃と違っているという事実だ。

掬う対象ではない。数でもない。一匹一匹が、少しずつ、違って見え始めている。

この違いに気づいてしまった時点で、縁日は、もう過去になる。そして、ここから先は、誰にでも同じ道ではない。だが共通しているのは、この章を通過した人間は、もう二度と「縁日のメダカ」には戻れないということだ。

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CHAPTER 2

第2章|1匹だけ、という嘘

最初に口にする嘘は、たいてい無害だ。「1匹だけだから」「増やすつもりはない」「見るだけ」自分に向けた説明としては、十分に整っている。

そもそも、最初から増やす気がある人はいない。増やすという行為は、計画ではなく、結果だからだ。

1匹は、静かすぎる。目立たない。音もしない。存在感も薄い。だから、もう1匹いても問題はないように思える。「寂しそうだし」「たまたま余っていたから」「同じ種類だし」理由は、いくらでも見つかる。

2匹になると、世界が少し動き出す。泳ぎ方が違う。止まる位置が違う。反応の速さが違う。「個体差」という言葉を、まだ使わないうちから、違いが見え始める。

ここで、ひとつ目の分岐が起きる。見なかったことにするか。面白がってしまうか。多くの場合、後者を選ぶ。なぜなら、面白がっても失うものは何もないように見えるからだ。

3匹目は、少し説明が必要になる。「増えた」という事実を、どこかに置かなくてはならない。だが、この段階ではまだ余裕がある。「たまたま」「一時的」「預かってるだけ」言い訳は、まだ新鮮だ。

水槽を変えたわけではない。場所も同じ。生活は壊れていない。だから、増えていないことにしてしまう。数ではなく、風景として見る。

この頃から、数を正確に数えなくなる。なぜなら、数える必要がないからだ。問題は起きていない。困っていない。誰にも迷惑をかけていない。ならば、正確である理由がない。

「1匹だけ」という言葉は、もはや数を指していない。それは関与の深さを否定する言葉に変わっている。これ以上、深入りしていない。本気ではない。そう言うための、便利なフレーズだ。

やがて、容器が変わる。大きくなったわけではない。「見やすくなっただけ」だ。管理しやすい。掃除しやすい。合理的。そう、これは後退ではなく改善なのだ。

改善は、常に正義の顔をしている。誰にも責められない。むしろ褒められる。「ちゃんとしてるね」「大事にしてるね」この言葉を聞いた瞬間、嘘は、嘘であることをやめる。

気づけば、「1匹だけ」という言葉を口にしなくなる。代わりに、何も言わなくなる。説明しないという選択は、もっとも強い肯定だからだ。

ここまで来て、ようやく薄く気づく。最初の嘘は、誰かを欺くためではなかった。自分を安心させるためのものだったのだと。

だが、安心は長く続かない。なぜなら、水槽の前に立つ時間が確実に増えているからだ。

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CHAPTER 3

第3章|名前のつかない時間

その時間には、名前がない。作業でもなく、鑑賞でもなく、休憩とも違う。ただ、水槽の前に立っている。

何かをしているわけではない。餌をやるわけでもない。掃除をするわけでもない。数を数えるわけでもない。しているのは、見ている、それだけだ。

時計を見ると、思ったより時間が経っている。驚くほどではない。でも、少しだけ長い。この「少しだけ」が、あとから効いてくる。

この時間には、達成感がない。終わった感じもない。「よし」という区切りもない。だから、終わらせる理由もない。

スマホは、手に持っている。だが、画面は見ていない。通知が鳴る。一瞬だけ視線を落とし、また水槽に戻る。用事は、あとでいいと思える。

この時、メダカは特別なことをしていない。泳いで、止まって、また泳ぐ。昨日と同じだ。明日も同じだろう。それなのに、飽きない。

ここで、人は少し混乱する。なぜ、同じものをこんなに見ていられるのか。理由が、うまく言葉にならない。

美しいから、という説明は足りない。癒されるから、という言葉も浅い。役に立つわけでもない。知識が増えるわけでもない。それでも、その場に立ち続けている。

この時間は、「消費」ではない。何かを得ている感覚が、ほとんどない。だが、失っている感じもしない。むしろ、何も削られていないという感覚だけが残る。

人は、こういう時間に慣れていない。現代の生活には、必ず理由が求められる。意味。成果。効率。だが、この時間には、どれも当てはまらない。

だから、名前がつかない。名前がつかないものは、管理できない。管理できないものは、計画から外れる。

この時間は、予定表に書けない。「メダカを見る 19:00–19:30」と書くと、途端に嘘になる。始まる時間も、終わる時間も、決められないからだ。

気づくと、この時間が生活の隙間に自然に入り込んでくる。朝。出かける前。帰宅直後。寝る前。どれも、ほんの数分のつもりだ。

だが、その「数分」が、一日の輪郭を静かに変えていく。

ここで、はっきりしてくることがある。メダカを見ているのではなく、時間の流れをそのまま受け取っているのだということ。

速くしようとしない。遅らせようともしない。ただ、流れるままに立ち会っている。

この感覚を、一度知ってしまうと、戻るのは難しい。なぜなら、他の時間が少し騒がしく感じられるからだ。

仕事の時間。移動の時間。待ち時間。どれも、どこか落ち着かない。理由は簡単だ。それらの時間は、何かを要求してくる。

だが、メダカの前の時間は、何も要求してこない。こちらが何者であるかも、何をしているかも、一切関係ない。

この章の終わりで、ひとつだけ認めておこう。この名前のつかない時間は、すでに「趣味」の領域を越えている。

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CHAPTER 4

第4章|増えたのは、メダカか、自分か

違いが、はっきり見え始める。色。泳ぎ方。止まる場所。餌への反応。同じ種類のはずなのに、同じに見えない。

最初は、気のせいだと思う。光の加減。水の揺れ。その日の体調。そうやって、自分の感覚を一度は疑う。

だが、何度見ても、違う。こちらが意識していなくても、目が勝手に区別してしまう。

このあたりで、言葉が変わる。「かわいい」から「いい」へ。評価が、混じり始める。

やがて、調べる。ほんの少しだけ。名前を知るためではない。確認のためだ。自分の目が間違っていないかを確かめるために。

そこで、ある言葉に出会う。選別。その響きに、一瞬、身構える。自分には関係ない。そこまでの話ではない。そう思いたい。

だが、現実は先に進んでいる。数が増え、容器が分かれ、自然と分けている。良い・悪いではない。向き・不向きでもない。ただ、「残す」という判断が発生している。

ここで、はっきりする。増えたのは、メダカだけではない。見る解像度が増えている。

一度、違いを見てしまった目は、もう見なかった頃の自分には戻れない。

「増えたね」と言われる。否定も肯定も、しない。ただ、笑ってしまう。なぜなら、増えたのがメダカなのか、自分なのか、もうわからなくなっているからだ。

水を替える。餌を減らす。分ける。移す。どれも、正解がない。正解がないから、責任が生まれる。責任が生まれると、覚悟が静かに混じる。

これは、コレクションではない。管理でもない。関係だ。

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CHAPTER 5

第5章|やめようと思った日が、一番深い

その日は、だいたい予告なくやってくる。特別な事件が起きるわけではない。大失敗でもない。劇的な別れでもない。ただ、少しだけ、うまくいかない。

数が減る。思っていた反応が返ってこない。元気だったはずの個体が、動かなくなる。理由は、はっきりしない。水質かもしれない。温度かもしれない。自分の判断かもしれない。

この「かもしれない」が、重くのしかかる。原因が特定できないという事実は、失敗そのものより厄介だ。

ここで、初めて思う。向いていないのかもしれない。

やめる理由は、いくらでも揃っている。時間がない。場所がない。手間がかかる。気を遣いすぎる。どれも、正しい。

だが、ここで不思議なことが起きる。水を替えてしまう。もうやめると思っているのに、水を替える。必要ないはずなのに、やってしまう。

これは、未練ではない。情でもない。癖に近い。水を替える行為は、未来を約束しない。ただ、今日をちゃんと終わらせるための動作だ。

やめようと思った日ほど、世話が丁寧になる。人は、どうでもいいものには丁寧にならない。

やめようと思うこと自体が、深さの証拠だ。迷うということは、すでに関係が生まれている。

この章には、結論がない。やめる人もいる。続ける人もいる。どちらも、間違っていない。

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FINAL

最終章|それでも水を替える

理由は、もう説明できない。続けると決めたわけでもない。やめなかったわけでもない。ただ、今日も水を替えている。

報酬はない。誰にも褒められない。評価もされない。SNSに上げるほどの出来事もない。

水を汲み、古い水を捨て、新しい水を入れる。この動作に、達成感はほとんどない。終わった、という感じもしない。それでも、やる。

続けている人は、だいたいこんな顔をしている。熱狂していない。誇ってもいない。語ろうともしない。むしろ、少し照れている。

メダカは、生活に組み込まれている。歯を磨く。鍵をかける。水を替える。同じ列に並んでいる。

ここまで来ると、増える・増えないは大した問題ではない。上手くいく・いかないも、中心ではない。大切なのは、関係が続いているという事実だけだ。

水を替えると、水槽が少しだけ澄む。自分の気持ちも、少しだけ澄む。それ以上のことは、起きない。そして、それでいい。

スマボン出版®︎

制作・構成:アバウト佐々木(佐々木勝俊)
発行:スマボン出版®︎
協力:頭狂メダカ学院(非公認)

※本書に登場する学院・人物・組織は実在しません。
※ただし、各地のベランダや縁側では日々開講しています。

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